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社会・労働運動・アナキズム

アナキスト・フェミニズム内のリベラルな傾向への異議申し立て

アメリカのアナキズム連盟「ブラックローズ/ロサ・ネグラ」によるアナキズムフェミニズムに関する議論。2014年でイギリスで行われたアナキストフェミニズムの会議に参加したブラックローズのメンバー2人による、問題提起と運動のつくり方の提案。

少しずつ訳し始めています。(色々とやりかけで申し訳ありません。)

原文は以下

www.blackrosefed.org

 

書き手のひとり、Romina Akemiをインタビューしたラジオ番組は以下

www.blackrosefed.org

 

こちらはチリの活動家を迎えてアナキズムフェミニズムについて開催されたイベントの動画。薔薇のワンピース来てるのがRominaさんで、同じくチリ出身。

 

以下の翻訳途中のものを掲載します。間違い、わかりにくいなどの指摘歓迎します。

 

以下の記事はBRRN(ブラックローズアナキスト連盟)の2人のメンバーによるもので、「アナキズム理論の視点」の最新号に掲載され、アナキズム研究協会の協力でここに載せることになった。

By Romina Akemi and Bree Busk

ロミナ・アケーミ、ブリー・バスク

 

 

ブラックローズアナキスト連盟はイギリスのアナキスト組織の委員会により開催された国際アナキストフェミニスト会議AFem2014 へ参加する代表を送った。

 

AFem2014(エーフェムにせんじゅうよん)の目標はアナキスト運動の中の性差別やその他の抑圧に異議を唱え、「セーファースペース」を作り、個人的または集団のおける経験について対話を開始し、運動を組織することにつなげていこうとする試みであった。

 

本会議主催の委員会はこのイベントにより生まれたエネルギーがアナキストフェミニスト全体を再度活気づかせることを願い、世界的に影響力のある会議をつつけて作り出すことを期待していた。

 

この見地に立つと、 AFem2014アナキズムの成長とその中のフェミニズムの理論と実践を進展させる必要性に光を当てた重要な政治的展開であった。しかし、ブラックローズ代表団は 答えより疑問を多く抱えてAFem2014を後にした。一番の疑問は「アナキストフェミニズムって何だ?」である。

AFem2014はその可能性を現実化するのに必要な志を欠いていた。

 

家父長制の中で単に存在することが急進的な行為であることが当然とされ、抑圧経験の共有が政治的遺産や視座の共有の代わりを務めると理解されていた。

 

たしかに我々や同志の存在は祝福されるべきものだが、それだけで十分とは言えない。

実際、アナキストフェミニズムを我々の実践よりもアイデンティティに収束させるとなると、表明上の修正以上のものが必要いなるような挑戦が待ち受ける時、準備不足に悩まされる危険が生じる。

 

たとえば、会議中に特定の人種や帝国主義分析によりセーファースペースポリシーが促進されうる状況がいくつか生じた。結果としてドレッドロックの白人参加者がそれは文化の盗用 であると注意を受けたが、中東で経験したジェンダーに基づく暴力の経験を話したスピーカーが沈黙させられた複雑で苦痛な事例は取り組まれることがなかった。

 

代表団のメンバーとして、会議の国際的な性質により世界の様々な場所における組織戦略を比較するまたとない機会が生まれ、将来的な連携に繋がる政治的な関係性が構築されることを期待していた。

 

しかし本会議はいくつもの形で未熟なところがあり、その可能性を制限してしまっていた。

 

一番の例は会議の開催委員会が多くの参加者の獲得やセーファースペースポリシーを優先するあまり、会議の内容に同じだけ力量を割くことに失敗していることである。

 

「正しい」人(ジェンダーによる抑圧を直接経験した人)の参加や「正しい」環境作り(抑圧的な態度を排除するためのセーファースペースポリシー)に大変重きが置かれていた。

 

それ自体は悪いことではないが、そこに集中するあまり意図的な政治的趣旨が排除され、結果的に全ての政治と政治の欠如を同時に含有するアナキストフェミニズムの表象となってしまった。

 

今日の政治的危機に対処するには、アナキストフェミニストは知識と確信をもって伝達できなければならない。この政治的傾向を展開したいと考える我々は、自らを歴史の中に位置づけ、過去の教訓の上に構築していかなければならない。

 

新たな理論を作り上げ逃走の中で試行しなければならない。大衆運動を構築し、その中でアナキズムを提唱しなければならない。要求を作成し、イタリアのアナキストであるエンリコ・マラテスタの言葉を借りれば「前に進むには、敵の手中にある領地を引きちぎるのと同じ精神であらゆる可能な改良を獲得し勝利しなければならない」(注1)。最後に、自らを国際的に位置づけ、世界の同志と連帯しなければならない。

 

定義に従えば、広義のフェミニズム運動が我々の政治を十分に代表することはない。

むしろ、フェミニズムが生まれる場所(路上、家庭、職場、メディア、および複雑で重なり合う社会的繋がり)にてフェミニズムを発展させるための方法として機能するものである。

アナキストフェミニズムを小さな集団の空間から押し出し社会的な場に登場させるということは、労働者階級の運動と関連性を持たせるために奮闘するつもりがあることを意味する。

 

我々の政治は私的生活を管理する有効な手段にとどまらない。闘い、死んでも獲得したい世界の青写真を代表するものである。

 

「波を引き割く」はリベラルフェミニズムと断絶し、私達自信のアナキストフェミニズムの歴史的伝統を再構築する必要性を認識することを呼びかけるものである。

 

我々はフェミニストであるアナキストアナキストであるフェミニストが実践におけるアナキストフェミニズムの意味を議論し、刷新された闘争を通した定義を洗練させる必要性を同時に宣言する。

 

我々の目標は新しいアナキストフェミニズムの完璧な指南を提供することではなく、現時点で特徴的な曖昧な政治を超えて数歩進展させることである。多くの読者がこの記事の葛藤と願望を共有することを期待している。アナキスト運動の中で意義あるフェミニズムの実践が欠けていることや、フェミニズムの中で集団的闘争は私達自信や組織する対象が浄化されて初めて可能になるとしている傾向に対して窮屈に感じている同志との対話や自身の経験からそう考えている。

前者では、私達の政治は私達の声と共に周辺化される。後者では、闘争の中に教育の出る幕がない。2つの政治的空間が私達の時間と労力を巡って競合するとき、二重の活動に対する圧力が悪化する。我々の組織で、 AFem2014で、私達が出会うその他の様々な文脈で対話するとき、共通したテーマが立ち現れる。私達はより良いものが必要だし、そのために闘う準備はできている。